こんにちは、りすです。
「ゆとり・楽しみ・すっきり」テーマにブログを書いています。
「親を送る」をテーマにお話しします。
これは重く悲しい話ではなく、いつもどおり好奇心旺盛な私が、日々起こったできごとを体験談として綴るものです。
89歳のガン治療の現実(母のケース)
母は大腸ガンと肺ガンの両方がありましたが、普段はいつもどおり生活していました。
医師から手術を受けるか説明を受けた時も「くまさん(母のこと)はお元気だから大丈夫ですよ」
と言われていました。
大腸ガンの手術
大腸にはかなり大きい腫瘍がありました。
ぎりぎり内視鏡でいけそう、とのことで、2023年7月に手術が予定されました。
入院期間は10-14日ほどと言われました。
手術当日は私も病院で待機
手術当日は何かあった時のために家族が1人以上、病院に待機します。
手術前にも事前説明や検査結果の報告などで病院に呼ばれることがありました。
そのたびに、仕事は有給休暇を使ったり、時差出勤にしたりと調整が必要でした。
現在の職場は介護や育児に理解があるのでよかったです。
でも、以前に働いていたシフト制のサービス業だったらと考えると、きっと無理だったなと思います。
手術は成功し、大腸にあった腫瘍は取り切ることができました。
肺ガンの放射線治療
肺ガンの放射線治療は家から通う形で行われました。
平日週5日を2週間、同じ時間に予約が取られて通います。
夏の暑い時期でしたので、大変そうでした。
つきそってあげたかったのですが、母が大丈夫と言ってくれたので、バスで通院し、すべての過程をやりきりました。
結果はかなり小さくなったけれど、完全に消えたのではない、ということでした。
放射線治療は1回しかできないので、小さくなったところで進行が収まってくれるといいな、と願っていました。
抗がん剤治療はあきらめる
肺ガンの放射線治療を終えましたが、ガンが残った状態とのことで、医師は抗がん剤を打診してきました。
抗がん剤はガンと戦う薬、つまり強い薬です。
89歳の母に耐えられるのか不安でしたが、様子を見ながらやってみるという方向で投薬を開始しました。
予想どおり、相当きつかったようで、食欲もなく寝込んでしまうことが増えました。
「このまま動けないよりは、ガンと付き合って穏やかに暮らしたい」
母の意見を尊重して、治療はここで終えることにしました。
ガン治療は3か月で終了、その後4か月間は穏やかな日々
大腸ガンの手術を含めてガン治療は2023年6月~9月の3か月で終了しました。
その後はいつもと変わらない日々が戻ってきました。
時々母の部屋から聞こえる咳の頻度が多くなったことは心配していましたが、年末は紅白歌合戦を見て、年明けはおせち料理を食べて、いつもの年末年始を過ごしました。
その間に在宅での療養の可能性を考え、介護保険の申請を始めました。これは記事を分けたいと思います。
1月中旬に容態が変化、別れの時を予感
年始は変わらず過ごし、電車に乗ってお気に入りの美容室に行ったりしていました。
1月17日、仕事中の携帯に着信があり「いつもと違う苦しさがあって呼吸ができない」と母が言いました。
医師からは呼吸困難があったら救急車を呼ぶように言われていたので、それを伝えました。
救急車はすぐに来てくれて、かかりつけの病院に搬送されました。
救急車で運ばれ、医師は帰ってもいいと言った、でも
病院の救急外来と電話で話し「今は落ち着いているから、仕事が終わったら病院に来てください」
と言われたので18時頃に到着しました。
母は話すことができて「今は大丈夫」と言っていました。
担当の医師が来て「呼吸を楽にする薬を飲んだら良くなったので、薬を持って帰宅していいです」と仰いました。
「くまさんはお元気なので」
私はこの言葉に驚きました。かなり辛そうに見えたからです。
「私には全然元気に見えません。家には呼吸困難になった時の準備ができておらず不安なので、対応できる準備ができるまで入院させてほしい」
と伝え、入院することになりました。
結果、翌日別の部分が急変し、帰宅していたら大変な事態を招くところでした。
母と別れの時
母は大腸ガンと肺ガンを患っていましたが、急に小腸から出血があり、一時、意識不明になりました。
1月20日の明け方、病院から「家族の方は来てください」と電話があり、私と家族で行きました。
その日は母の意識は戻り、話すことができました。
話せる最後かもしれないと思った母が言ったことは、
・忙しいのにみんなで来てもらってごめんなさい
・キャッシュカードを持って帰って
・何かあったら、お父さんの葬儀をお願いした葬儀社に積み立てをしているから使って
・大げさな葬式はしないで
・K子(母の妹)に借りた帯を返して
・Rちゃん(私の姉)に真珠のネックレスを渡して
・手帳に印をつけている人にだけあとで知らせて
など、頭の回転が速いことが自慢だった人らしく、連絡事項を次々に伝えられ、私は現実を目の当たりにしました。
その日から2週間、小康状態が続きましたが、2月4日の朝、病院からの電話で、明け方呼吸が止まり亡くなったことを告げられました。
最後まで読んでくださりありがとうございました!
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画像素材:【写真AC】